夏休みの宿題と一緒に、解答は配布するべきである。

なぜ夏休みの宿題に解答をつけないのか。

これは私が中学生の時に抱いた疑問である。
そして去年今年と、またこの問題に遭遇することになってしまった、残念である。

「なぜ夏休みの宿題に答えをつけて配布しないのか?」

という疑問を投げかけた際に、大抵の教員はこういうのであろう。

「答えを写して実際にはやらないから。」


では、答えを写すという人のために、夏休みの宿題を真面目にやる生徒の疑問が犠牲になってしまうのか。
夏休み前半で宿題を終えた真面目な生徒が、答え合わせができずに、もし間違った問題があったとしても、それを新学期まで解決できずに放置する結果となってしまう大きな損失はどのようにしてカバーするというのか。

夏休みの宿題とは、そもそも自主学習を促進する目的で出されるものであるはずだ。
答えを配布しないことで疑問点を残したまま新学期を迎えさせると言うことは、本末転倒も甚だしい。

確かに、教科書で調べたりすればすぐに分かる問題が多いのも現実である。
それならば少なくとも、生徒の多数が疑問を持つような応用問題のたぐいには解説付きで解答をつけておくべきではないのか。


さらに言えば、解答を配布されたらそれを写してやらないような生徒は、解答が配布されていなかったとしても友人の答えを写して、結局やらないという現実を直視するべきである。

宿題を貸す側にとっても、自分の苦労してやり遂げた課題が手元を離れるのは多少なりとも心許ないはずである。
借りた宿題の答えが間違っていた場合も、被害はさらに拡大する。
それが正解だと思って写した生徒が間違った答えを覚えてしまうという危険性をはらんでいることを忘れてはならない。



私自身の経験から行くと、答えを写すという行為そのものも、少なからず学習につながると言うことである。

何も考えずに写す場合は話にならないが、たとえば理解しようとして写した場合、それは大きな実力の発展をもたらすことを忘れてはならない。


何も考えずに写す生徒は答えの配布が有ればそれを写し、配布がなければ友人に借りる。

考えて写す生徒は、配布が有れば友人よりもより良い解答を、考えながら写すことができ、配布がなければ間違っているかもしれない友人の解答を写す。

シャイだったり面倒くさくて人に聞くことができない生徒は、答えの配布が有れば自分で解決ができるが、無ければ解決できないまま実力の向上がもたらされずに夏休みを終わる。

勤勉な生徒は、答えの配布を受けることで、自信の作った解答に対する評価が可能になり、間違いの早期発見も可能となる。


一番最初に記述した生徒が多いとかそう言う問題ではなく、やる気のある者をのばす教育が現在の現場に求められるベストな形ではないのだろうか。

そんなことをすれば落ちこぼれがますます増え、上にいる者が得をすると言われるかもしれない。

しかしそうであろうか、大局を見て欲しい。

一番最初に書いたタイプと、一番最後に書いたタイプで一番違うのは何か。

家庭環境である。

家庭環境とは、親の教育である。

学校教育がある前に、親の教育が有ると言うことを、今日の親は忘れてはならないと思う。

また、生徒本人も自覚しているはずである、真面目に勉強することが、多かれ少なかれ自分のプラスになるであろうと言うことを。


やる気のある者を伸ばし、他がそれを追いかけるようにし向けるのが、学校教育であり、またそれを促すのが、家庭教育ではないのか。

一部のやる気のない者のために、やる気のある者の才能を摘み取るようなな行為はして欲しくないものである。



というくだらない記事にストさんが貴重な意見を書いてTBを送ってくれたのでこちらからもTBを送ってページランクを(ry

なんでもRSS

k-5.orgRSS配信したいなぁ、、なんて考えつつ適当に検索していたら、サイトのRSSを自動で生成してくれる、なんでもRSSとかいう便利ツールを発見した。
どうやら東工大の奥村研究室の作品らしい。
といっても全く面識ございませんw
日付が連続している部分の更新をチェックする仕様っぽいので、試しにk-5.orgのトップページを読み込んでみたところばっちり生成されたので、早速導入した。

ついでに、RSSアイコンを作成してくれるサイトも見つけたので、ソレを使ってアイコンも作成してみた。

なかなかお気に入りである。

静的HTMLにトラックバック機能を実装する

はたまた最低さんのid:worstman登場。

以前、静的htmlにTB機能を実装するjavascriptを紹介していただいて、やっとこさk-5.orgのトップページに実装した。

試しにTBを送ってみる。